■宝厳院の美
ゲスト:NPO古材文化の会・会長、関西大学 名誉教授 永井規男さん
知り合いであった田原師が、宝厳院の住職になったという知らせがあったので、初めて聞く宝厳院とはどこにあるのか?と訪ねていきました。すると、かねてから気になっていた別荘地が、当の宝厳院だったのです。敷地の中に入り、庭と建物を見たとたん電気が走るような感動をうけました。建物群の質の良さ、住職の居間から窓越しに見る嵐山を借景にした景色の素晴らしさに目が奪われました。
当初は取り壊す予定であったという建物でしたが、あまりのすばらしさに保存されることになりました。5年前に行った調査で、土蔵から棟札と上棟幣串が発見され、大正8年(1919)に上棟されたことがわかりました。施主・林民雄、技師・上阪友次郎、棟梁・小野寺末太郎です。
建設当時は林別荘と呼ばれていたようで、建物は現在も建設当時のままで残っています。非常に優れた別荘建築で、そのデザインや配置形式もすぐれ、「大正の桂離宮」と呼びたいほどです。<続く>
☆永井さんの著書:
『建築半丈記』 学芸出版社
『新建築学大系44』「歴史のなかの建築生産システム」彰国社
◇木の命を生かす/古材文化の会
担当:中村真由美
先日、永井先生がなさっている町屋の調査現場を見せて頂きました。通りに面した入り口は何の変哲もなく、質素なたたずまい。中に入ってみると蔵があって座敷がつながっていて奥に庭がある。外観からは想像も出来ない広さがあった。
☆本日の出演:下村委津子、中村真由美
永井さんのお話の続き...
明治後半から大正時代は、木造建築の質が一番良くなった時期です。当時、景気が良く、資金をかけ、良い材料を用いて建物を造ることが出来たのです。大工をはじめ、非常に腕の良い職人が多くいた時代です。そうした中でも、この建物は、最高の場所に、最高のデザインと最高の材料で作られているのです。京都にはこの時期の建物はたくさんありますが、これほどの規模で、設計・施工が素晴らしく、かつ保存状態がよい建物はめったにありません。
南側に広がる庭に面して書院、茶席、住職室の数寄屋建築の三棟が雁行形に配されています。書院は入母屋造桟瓦葺、茶室は寄棟造段違、住職室は切妻と入母屋の妻を重ねて南面に向け、それぞれに変化と趣向を凝らし、桟瓦・銅板等の庇を設けて少しづつ後方にバックさせて雁行形に配置されているのです。
書院は1.8m程の高さの高床式につくられていて、視界いっぱいに庭を展望できます。こうした設計は明らかに桂離宮を念頭においています。書院の下はせせらぎが流れ、正面に獅子吼石がたつ辺はまさに圧巻です。建具もすべて当初のままで、ガラスもそのまま。書院の縁に用いられている長押は、北山杉の半丸太の6間もの長さの一本ものであるのがすごい。
材木だけでなく、竹も各所で凝った使い方をしていますが、何といっても見所になるのは網代の使い方です。天井だけでなく壁や建具にも使われています。網代のパターンも多様で、網代の展示場の趣すらあります。今は水屋とされている四畳半の書斎の造作なども一見の価値があります。

