ゲスト:川端編集事務所 川端洋之さん
編集者・ライターとして、歴史・文学・京都関係の雑誌・単行本などで企画編集・取材執筆されている川端さん。主な編著・共著には「京都」「関西周辺 街道・古道を歩く」「京を彩った女たち」「京都水景色」「幕末京都」など多数!大河ドラマで話題の「義経」について、お聞きします。
牛若が生まれたときに用いたという紫野の産湯の井の跡が、今宮神社の北の牛若町にあります。産湯の跡の井戸は2ヵ所有り、その位置は300mぐらい離れています。屋敷がかなり広かったとのでしょう。そこが義智の別邸で、本館は六条堀川通り、今の東急ホテルのあたりに堀川館(源氏の館)がありました。<続く>
☆川端さんの著書:
「源平京都〜源義経と平家物語の人々」(平成16年11月発行)
◇三十三間堂(蓮華王院本堂)
担当:中村真由美
三十三間堂は平安時代末期の1164年院政を行っていた後白河上皇によって創建されたものです。南北に伸びる内陣の柱の間数が33あります。1001体の千手観音像などが安置されています。
三十三間堂が建造された歴史的背景とは?
川端さんのお話の続き...
義経は美少年だったといわれています。母・常磐御前は1,000人の女性の中から一番に選ばれた美人でした。常磐御前は太秦の常磐の出身といわれています。ここに源光寺があり、そのあたりで生まれたということです。
「常磐井」はすこし離れたところにあります。「小町の井戸」と呼ばれるもので、美人伝説には必ず出てきます。昔は鏡が希少なものだったので、井戸を鏡代わりにしたからです。京都になぜ美人が多いかというと京都の水、気候風土、化粧方法が進んでいたからでしょう。
また、京都人が持っている義経伝説があります。牛若伝説はどのあたりから来ているのでしょうか?
言い伝えの書の、信ぴょう性の高さの順は、義経記-->東鏡-->平家物語などです。伝説の部分が90%ぐらいです。後世に伝えられた真実の部分が、実にインパクトの強いものであったため、空想が空想を呼び、義経がヒーローになったと思われます。牛若の謎の部分が多いから魅力になっているのでしょう。
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2005年01月08日
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