▼▼今月のテーマは「祇園祭」です▼▼
ゲスト:綾戸国中(あやとくなか)神社禰宜 杉浦 和さん
古く、国中社は久世郷全体の郷社でしたが、戦国時代に国中社が綾戸社境内に移転され綾戸国中社となりました。ここから、祇園祭の御輿を先導をする久世の稚児(駒形稚児)を出しています。
スサノオノミコトをお祀りしているところは多いですが、国中社の荒御魂と八坂神社の和御魂が一体になって一つの神になると古文書には記されています。
祇園祭は17日の巡行で終わると思っておられる方が多いですが、その神幸祭と24日の還幸祭があります。そのときには、国中社のご神体であ る馬の頭(駒形)を胸に戴いた稚児がお供20人くらいと行列の一番前を馬で歩き、この稚児がいないと祭りは始まらないとされています。長刀鉾の稚児も下馬する八坂神社の門を乗馬のまま入っていきます、いつから始まったのかははっきりとは解らないんですがね。
ご神体を持って歩くというのは余り無いことだと思います。普段はお社の中の扉、御簾、幕の奥の唐櫃の中におられます。
毎年二人、当社の氏子さん150軒ほどの中からでてもらっています。巡行の間馬に乗り、大人が手を貸すことなくすべて自分でやらなければなりませんから小学校3,4年生くらいの子どもさんです。
廻りはずいぶん新しい住宅が増えましたが、古くからすんでおられる方にとっては当然のおつとめという感じで、「そろそろお願いしますよ。」というふうにしてずっと続いています。
祭りの間は長刀鉾ほどきびしくはなく、お稚児さんもふつうに学校へ行っています。
戦前まではここの久世から八坂神社まで稚児は馬に乗って、お供は歩いていっていました。当時は普段はお百姓をされている人も多く、なれていたとはいえ大変だったでしょうね。
行列は雨に降られるのが一番困ります。なにせご神体ですから、お稚児さんがポンチョをかぶったり、一度は車で移動した記憶もあります。還幸祭は夜遅いので、通りで子どもさんが花火をされて馬がおどろいてしまったこともあります。近年は三条通もにぎやかにお迎えしてもらってうれしいです。はじめの頃は奉納太鼓で馬が驚いたこともありましたね。
音声:
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こちら ◇山鉾巡行と電柱・電線 鉾の巡行に備えて、新町通にははじめから横断線が無い。かつての市電の架線も巡行の時には一時的に 外していた。あと祭りがあった頃は三条通を山が巡行していたが今はそれも難しい。
無電柱化はどうして難しいか? 電線共同溝(C.C.BOX)方式が主流だが、道路上に置く変圧器が必要。道路の狭い三条通などでは難しい。まちがどんどん変化しているところでも難しい。それとやはり費用の問題。
posted by 京都府建築士会 at 00:00|
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