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2004年01月31日

04年1月31日放送 京都龍馬会

▼▼今月のテーマは「地名・人名の由来と歴史、言い伝え」▼▼

040131.jpg■龍馬会
ゲスト:NPO法人 京都龍馬会 武山峯久さん

 龍馬ファンの会は全国で100近く、世界にもパリやハンブルク等にありますが、NPO法人にしたのは京都龍馬会が初めてです。龍馬を通して心の優しさや、歴史から学ぶものをもっと広げていこうじゃないかと活動しています。

 最近、修学旅行生にも観光地巡りは飽きられています。京都はもう少し掘り下げて切り口を変えたものを提案していかないといけない。京都の本物の良さを知ってもらい、活性化出来ればと思っています。

 歴史の中で私たちが知っている事は案外限られているんです。この三条通界隈だけでも歴史深い所がたくさん散りばめられていて、三条大橋欄干の擬宝珠は16世紀半ばのものがそのまんま残っている。博物館じゃなく、僕らのパンパンと叩ける所に雨ざらしで付いているんです。

 有名な新撰組の池田屋事件のあった池田屋さん。寺町通では、龍馬がお龍さんと散歩してたという話もあります。背丈が180cmほどある龍馬と美人のお龍さんが手をつないで歩いていたというからね。幕府の目も光ってるのに目立ちすぎと、薩摩の桐野利明が土佐藩の侍に注意した、と伝わっています。さらに、富小路三条北にはお龍さんの実家があって、柳ノ馬場には池田屋事件で殺された西川耕蔵邸跡に石碑が立っている。京都には、歴史ある所は幕末だけに限っても少しの距離の中にいっぱい有ります。ここの人が池田屋で斬られた人なんやっていうと歴史がリアルに感じます。

 龍馬会では皆さんを案内するツアーを色々と企画しています。京都が「歴史のテーマパーク」というとらえ方をしています。一般の方々が面白さを発見するきっかけ作りが出来ればと思っています。一過性のものではなく、面白みを合わせて知ってもらうと何度でも京都に来ていただける。奥深いです。

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2004年01月24日

04年1月24日放送 高山彦九郎の像

■三条大橋たもとの高山彦九郎像
ゲスト:中学校教員 川勝康弘さん

 三条駅の待ち合わせ場所として定番の「高山彦九郎像」。40才過ぎの侍姿の人が、北西を見つめて、手を付き、伏している銅像です。「土下座像」なんていう、かわいそうな通称の方が有名かもしれません。彼がなぜ、何に土下座をしているのか?あまり知られていません。

 高山彦九郎は、江戸時代中頃の勤王思想家で、幕末の勤王の志士たちに大きな影響を与え、明治維新を導いた人物です。幕藩体制が揺るぎだした頃とは云え、まだまだ幕府の権力が強い時代に、尊皇を唱え幕府を批判していたのです。三条大橋の銅像は、彦九郎が京都を出入りする度に皇居の方角を向き、ひれ伏す姿を再現しているのです。

 当時は、現在よりも管理が厳しくなく、天皇も御所周辺を散歩していたとされています。庶民も、そう難しくなく拝顔することが出来たらしいですね。
公方様といえば天皇をさす言葉ですが、江戸では将軍のことと認識されていました。江戸では、政治の中心で、それを司る将軍こそ絶対的なもので、天皇への認知度はそう高くなかったのです。上方と関東の意識の差ですね。


◇土地の顔?それは駅
担当:畑正一郎

 町を一つの家と考えたときに、その玄関口にあたるのが駅であり、当然顔であるべき存在ですが、なかなか個性を発揮出来ないのが現状です。駅は不特定多数の人が利用するもので、いろんなものが要求されます。京都など観光都市では、国内外からいろんな人がやってくるので、その土地の情報が、多く手に入る施設でもあらなければならない。やってきた人が、はじめに接する土地の施設はやはり駅なのです。ただ人を流すだけの施設ではなく、人がたまるような仕組みがもっと欲しいですね。
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2004年01月17日

04年1月17日放送 三条通の弁慶石

■弁慶石の由来
ゲスト:よーじや 店員さん

 三条・よーじやさんの入口に弁慶石というのを見かけたのですが、町名にもなっていますね。弁慶石のいわれは?お店の方に聞いてみました。

 いろいろな説があるようです。
 昔の読み物の「京雀」というのがあるのですが、その昔、鞍馬口にこの石があって、武蔵坊弁慶が常に腰をかけて休んだそうです。その大きな石がある年の大洪水で流されて、大洪水で流されてこの町に着いたということです。その後、西朱雀の水薬師というお寺に引き取られたという説があります。
 昔は、鴨川は暴れ川で堤防がなく、三条通りの、このあたりまでしょっちゅう水が迫ってきたそうなんです。

 もう一つの説は、昔この町にあった京極寺というお寺に石があり、それを弁慶が試し切りをしたというもの。
 さらに、もう一つの話では、この石は、はじめ奥州にあったのですが、武蔵坊弁慶がとても気に入っていたものだということです。それを、後にここに誰かが持ってきたということです。


◇地名からまちづくりへ
担当:上原智子

 京都はおもしろい地名の宝庫です。三条通だけでも、弁慶石町って、弁慶と関係ある?桝屋町は、はかりものの商売が多かった? 菱屋町、梅忠町などなど。
 私は宇治の出身です。近くに「莵道」と書いて、今は「とどう」と読まれている地名がありますが、最近になって「うじ」と読んでいたいうことが分かったんです。源氏物語のまちづくりを宇治市が取り組む中で、それが出てきていたんです。
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2004年01月10日

04年1月10日放送 巨椋池

▼▼今月のテーマは「地名・人名・言い伝え」です▼▼


■巨椋池の歴史
ゲスト:設計事務所ニュープラン 遠藤康雄さん (建築士会木造研究会)

 現在も京都市の南に位置する巨椋池(おぐらいけ)。昭和初期に埋め立てられ、いまや小さな"溜め池"ですが、巨の字が付くだけあって!?その昔は巨大な、湖でした...。
 巨椋池から平安京を知る。巨椋池は、京に都ができて大きくなった!?


◇数字の七
担当:内藤郁子

 七という数字にまつわること。五節句と七草がゆ、七福神など。昔からの町家では、いろいろな願をかけて、七福神の福を飾りますね。


「何でもコーナー」
京都府建築士会 福祉研究会 村松徹也

建築物・まちのバリアフリーについての研究会です。
障害者や高齢者の生活の理解を深め、これに係る勉強会や現地見学会、建築物・まちのバリアフリーについての現地調査、出前講座や体験学習などの府民の啓発に取り組んでいます。
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